東京地方裁判所 昭和49年(ワ)10476号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
【判旨】
(1) 原告まり子のためにする第三者のためにする契約
原告よし子が前示入院時に元被告鈴木との間で締結した本件診療介助契約は、当時胎児であつた原告まり子の出産を目的とするものであり、その目的のための元被告鈴木による出産介助行為は当然に原告まり子の頭部を手で牽引する等、原告まり子の身体に直接物理的作用を及ぼすことが予定されるので、このような出産介助行為の特性に照らして考えれば、原告よし子が元被告鈴木との間で本件診療介助契約を締結する際、右と同様の契約を父敏昭の意向を体して胎児である原告まり子のためにも締結する意思を有し、また元被告鈴木もこれを了知し契約をしたものと解するのが相当である。
また、原告よし子が昭和四三年八月三日原告まり子を娩出するに際し、元被告鈴木の介助を受けたことは当事者間に争いがないから、原告よし子は原告まり子の出生時に原告まり子の親権者母として父敏昭の許諾のもとで原告まり子のために黙示的に受益の意思表示をなし、出産介助行為の特性から、元被告鈴木はこれを了知していたと解するのを相当する。<中略>
五責任原因について
前記のとおり、本件においては原告敏昭は元被告鈴木との関係でその主張にかかる事実をもつて契約の不履行を問いうる地位にはないから、以下、同原告の関係では不法行為上の過失として、原告よし子、同まり子の関係では不完全履行における契約上の注意義務違反として、元被告鈴木の責任原因を判断する。
1 原告よし子の入院から分娩に至る経過
(一) <証拠>を総合すると、以下の事実を認めることができ、右認定に反する原告よし子の供述部分は措信しがたい。
(1) 昭和四三年七月二九日原告よし子を診察した元被告鈴木は胎児の発育を十分と認め、同月三一日に入院することを指示し、右指示に従い原告よし子は鈴木医院に入院した。
(2) 右入院時の診察によると、原告よし子は初産婦でもあつたので、子宮口がきわめて堅く、一指が通る程度しか開大しておらず(四分の一開大)、また陣痛も全く認められなかつたので、元被告鈴木は分娩促進作用を有するリンテルの挿入ができるようにするため、まず原告よし子に挿入可能なブジー(子宮口開大作用のあるゴムの棒)を挿入し、子宮口拡張の措置を採つた。
(3) さらに約二〇時間のブジー挿入により、子宮口がやや開大したので、同年八月一日リンテルの一〇〇CCを挿入し分娩促進を図つた。
(4) 同月二日原告よし子がリンテル一〇〇CCを娩出したので、さらにリンテルの二五〇CCを挿入し分娩促進を図つた。
(5) 同月三日原告よし子はリンテルの二五〇CCを娩出したものの依然陣痛微弱であつたため、同日八時ころ元被告鈴木は、陣痛促進作用を有する子宮収縮剤アトニン0.5CCを含む五パーセントブドウ糖五〇〇CCの点滴を指示し、約三、四〇分にわたり看護婦立会のもとに右点滴を行なつた(なお、アトニンは、急速点滴や多量点滴を行うと、胎児の心音に異状を生ずるものであるところ、右点滴中、胎児の心音には何らの異状も認められなかつた。)。
(6) 同日午前一一時三〇分ころ原告よし子は、子宮口全開大となり破水があつたが、依然陣痛は微弱であり、元被告鈴木は、分娩室において原告よし子に自然分娩をさせるべく力ませたものの、胎児を娩出するだけの力がなかつた。
(7) 陣痛微弱のまま正常位の胎児の児頭が仙骨中端まで下りてきたところで、胎児の心音が不整となり、胎糞を漏し、きわめて危険な状態(胎児が仮死に近い状態)となつたため、胎児の生命救助のためできるだけ早急に娩出させる必要に迫られたところ、胎児の児頭が仙骨中端まで下りてきて鉗子使用の適位にあつたので、元被告鈴木は鉗子分娩術を採用し、胎児を娩出せしめた。(新生児は体重三、二〇〇瓦、身長四九糎、頭囲三四糎、胸囲三四糎)。
(二) 前記各認定事実を基礎として、原告よし子の診察、出産介助に当つた産婦人科医である元被告鈴木の所為についてその当否を検討するに、元被告鈴木は胎児が十分に発育していると認められるのに、入院以来終始陣痛が微弱で、入院時には未だ子宮口が堅く一指が通る程度であつた原告よし子に対し、ブジー、リンテル一〇〇CC、同二五〇CCを順次、原告よし子の子宮口の開大状態に応じて段階的に挿入し、子宮口開大、分胎促進の措置を採り、さらにリンテル二五〇CC娩出後もなお陣痛微弱な原告よし子にアトニン0.5CCを含む五パーセントブドウ糖五〇〇CCを三、四〇分にわたり点滴して自然分娩を行わせるため準備を進めたものであり、右諸措置により出産当日には子宮口全開大となり、通常であれば陣痛が生じ自然分娩の可能な状態に至つたのであるから、前記各経過に表れた元被告鈴木による分娩促進術は性急なものと言うことはできず、原告よし子に対して帝王切開術等の処置を選択せず自然分娩の方法を選択したとしても、産婦人科医の裁量の範囲内の行為というべきであり、さらに、自然分娩中に胎児の心音に急変をきたし胎糞を漏らすに至つた時点で、急速に分娩を図るため、すでに仙骨中端まで児頭が下りてきて鉗子使用の適位にあつた胎児の娩出に鉗子分娩術を採用したことも、また産婦人科医の裁量の範囲内の行為ということができる。
従つて、鉗子分娩術の採用に至る過程における元被告鈴木の所為はいずれも相当なものであり、契約上の注意義務違反、産婦人科医としての注意義務違反の過失を認めることはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。
2 鉗子操作上の過誤について
次に元被告鈴木の鉗子操作上の過誤の有無について判断するに、<証拠>によれば、鉗子分娩術は真暗な産道中で全く手探り状態で行わざるを得ないものであり、胎児の児頭の両耳を挾んで鉗子をかけるに当つては医師の勘に頼らざるを得ず、また牽引にあたつて児頭にある程度の挾圧力が加わることも不可避的であるところ、本件原告まり子の分娩に際しては、鉗子使用後一〇分程度で娩出に至つており、原告まり子に鉗子をかけた際には、鉗子の契合部分の突起による挾圧も一回で成功したことが認められ、以上によれば、鉗子操作上、元被告鈴木に過誤があつたと認めることはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。
たしかに、<証拠>によれば、出生した原告まり子の顔面の鉗子挾圧による損傷は通常より強度で後遺障害を残している事実が認められるものの、鉗子操作に当り元被告鈴木に課せられた義務は、鉗子操作により胎児に何らの損傷も負わせず、あるいは軽微な損傷にとどめて娩出せしめるということはではなく、母体と胎児の生命、身体の安全を図ることであり、このため細心の注意義務をもつて鉗子を操作することである。鉗子を細心の注意を払つて慎重に操作しても、鉗子分娩の緊急性、困難さ、挾圧・牽引の加圧力からいつて、鉗子分娩による顔面創傷、角膜損傷の危険度が低くないことに鑑みると、原告まり子の顔面及び角膜にさきに認定した程度の損傷が残つても、これをもつて元被告鈴木に契約上の注意義務違反ないし産婦人科医としての注意義務違反の過失があつたと認めることはできない。
(山田二郎 内田龍 古屋紘昭)